強制シャットダウンの弊害
こんにちは!
バレエピアニストのHaRuKaです。
前回の日常編みたいな記事が思いのほか反響良かったので、これからもたまに綴っていこうと思います。
先日ある体験をしました。
バレエピアノのお仕事後、16時過ぎから大学で自分の曲を練習していて、ふと時計を見ると3時間ほど経過していたんですね。
とても集中していたし、このページが弾けるようになるまでもう少しやりたい、などと思ったわけですが、
なんとなく、その日はそこで切り上げてみました。
そして帰りの電車の中で、明日は昼から仕事だけど、朝イチで大学にいって今日やりきれなかった部分を練習しよう、とか、今日は少し早いから帰ったら夕飯を作ろう、とか考えたのですが
その時点で私はふと一種の効率の良さを覚えました。
つまり、15%ほどの余力を残して切り上げたことで、脳内で明日の予定を組み立てる余裕や、できなかった部分に対して明日へのモチベーションも生まれたわけです。
私は学生の時は見境なくゴリゴリ練習し、閉門による消灯の時間でやむを得ず終了、ヘロヘロになって帰宅というのが主でしたが
そんな精も根も尽き果てたのちの強制シャットダウンのような終わり方では、次の立ち上がりも鈍くなってしまいます。
実際上記のようなやり方だと、なんとなく長時間ピアノに向かっていて''練習した''感はでますが、
人間そんなに何時間も集中できるわけではないし、絶対練習の質も衰えているはず。
思い切って自分の意思でシャットダウンすることが、次回の立ち上がりをスムーズする最善策なのかもしれません。
思い返せば、この『もう少しというところでやめる』精神は、母の教えでもありました。
私は北海道出身のため、幼少の頃は冬になると毎年家族でスキーに行っていたのですが
なぜか毎年のように、ちょうどあと1回リフトに乗りたい、というあたりで母から撤収号令がかかるのです。
もう少し滑りたかったのに、と不満に思っていた私でしたが
今思えば、これはとても合理的なことだったように思います。
つまり、あと1回いきたいと思える段階では心身ともに余力がある状態でもあるため、ケガをする可能性なども低くなりますし、帰りの車の中で会話が弾んだのも覚えています。
最終的に良い思い出にするためには、限界までやり切らない方が効率的なのかもしれません。
遅かれ早かれ、こういうあとからわかってくる学びってなかなか面白い。
映画を見たあとにネタバレサイトを見て「あ〜あれはああいう意味だったのか」と振り返る感じに似てますかね。
結局今回も日常編になりました。
次回は最近バレエピアノについて大きな学びがあったので、そちらをご紹介しようと思っています。
では、今回はこの辺で。
また更新します✨
HaRuKa🌸